繊細な自分の生きづらさを考える

自分の生きづらさについて書いていきます

寂しいとか悲しいとか

寂しい、と、悲しい、あるじゃないですか。

寂しいなんて特に。

寂しくてしんじゃいそうな時にネットサーフィンするとさ。寂しさを何とかしよう、誰かに聞いてもらおうとかあるじゃないですか。

聞いてもらう相手なんていねえわ、ってなるじゃない。

もしくは、聞いてもらっても解消しねえよ!!ってなる。私はそうだった。

言ったって、言ったところでわかってもらえないし分かち合えない。言って欲しいセリフはわかってるのに、その言葉を言われてもどうにもならなくて。

なのに漫画の登場人物が口にしてるのを見たら何故か心に響いちゃって。

やっぱ誰かに言って欲しかったのね、私ってなって。

 

どうしようもなく悲しい、寂しい、ってなってわかったこと。

誰かに言って欲しいというよりは、自分の究極の理想の相手に言って欲しかったらしい。

それは理想の彼氏、彼女でも。理想のおかーちゃん、おとーちゃんでもいい。

私の全てを肯定しどんなどす黒くてゲスくてけちで意地悪でズルくて情けない私でも。そんな貴方を愛してる、と言ってくれる理想の人。そんな人を現実に求めないで自分で想像、いや、妄想してしまったら良くて。

妄想の相手に全力言えるってなったら、少しネガティブな感情を許せるようになった。

自分で自分に言う、のと同じ理屈なんだと思うけど。インナーチャイルドセラピーだと自分が癒し役になっちゃうじゃない。

そしたら私が寂しいじゃない。

まずは自分が癒されねば。私が肯定されねば。